仕事を頑張りすぎて受診したら愛着障害と言われた話|大人になって母親との関係を振り返るまで
私は新卒からブラック企業出身だ。
終電まで働くのは当たり前だったし、それが何よりも自分のスキルになると信じて疑っていなかた。
仕事はやりがいもあったし、何より自分が役に立てている実感が嬉しかった。
上司からの仕事は基本的に頼まれたら断れないし誰にも頼れないから自分でやり切る。同僚や上司に飲みに誘われたら二つ返事で行き、仕事の話を聞いて参考にしていたりした。
そんな中、転職して度々怒鳴られることが多くなった。
自分のせいだろう、自分が不甲斐ないから、自分のスキルが足りないせいだから、と思って必死に仕事した。
それでもできていないことに対して怒鳴られた。
当時の日記を読み返すと、「体が重だるくて思うように動かない」「呼吸がうまくできない」「出社しようとすると手が震える」「頭痛吐き気がする」など身体症状まで出ていた。
適応障害かと思ったら愛着障害だった
ついに限界になって夫や友人に「受診したほうが良い」と勧められ病院に行った。
病院ではまず問診票を記入し、どんな生育歴かを聞き取りながら診察が進められていった。
そこでまず先生が一言、「愛着障害ですね。」と言った。
愛着障害、と聞きなれない言葉に戸惑った。
愛着障害とはなんだろう、と思い調べてみると、どうやら「幼少期に両親との関係で適切な信頼関係が築けず、それが大人になってからも人間関係や自己評価に影響が残ること」ということらしい。(私はこのように理解した。)
当時診断された時はピンと来なかったし、「仕事のことが辛くて受診したのになぜ愛着障害と診断された?」と不思議に思っていた。
後述するが、今思うとかなり当てはまることがある。
当時は仕事のストレスによる適応障害として表面化していたが、その背景には、幼少期から続く対人関係や自己評価の問題も関係していたのではないか、と今の私は考えている。
仕事を頑張りすぎることと、親との関係は本当につながるのか
私は仕事中毒のように働いていた。
なぜそのように働いていたかという気持ちの分析をしてみると以下だ。
- 人より頑張らなければ、評価されない
- 他者に認められない・評価されない私は価値がない
- スキルがない私は社会に必要とされない
- 期待に応え続けなければ、見捨てられる
- 休んでいる私は怠けている
- 常に何かを積み上げなければならない
- 休んでいても何かしなければと焦る
これは「向上心がある」というよりも、「自己価値を確認するため」に働いている。
私は社会にとって価値ある人間だよね?常に頑張っていれば、生きてていいよって誰かに認めてもらえる?と。
これは本の「毒になる母」で書かれていたことなのだが、まさに私のことである。
幼少期に母親に認められず、成長後に自分で自分を認められないと、必死に努力して、だれかに認められないという強い誘惑にかられる。
講談社+α文庫 2015年10月21日
人にほめられると、こころに空いた穴が満たされるように感じる。だが、今度は不安に襲われる。頑張り続けなければ、いつ外からの称賛を失ってしまうかわからないからだ。
けれど、自分で自分を認められれば、不安で眠れない夜を過ごすこともなくなる。
それでは、なぜ自分で自分を認めることがそれほどむずかしいのだろう?
講談社+α文庫 2015年10月21日
私は母から「ダメな子ども」という言葉を浴びせられてきた。
「きょうだいに比べて料理が本当に下手だ」
「あなたは小さい頃から本当に手がかかった。それに比べてきょうだいは育てやすかった。大きくなっても手のかかって厄介な子だね。」
「あなたはデブでブスだ。だらしのない体型だね。」
「自分の都合の良い時だけ擦り寄ってきやがって。卑しいやつ。」
また、言葉の呪いだけでなく機嫌を伺うことも強いられていた。
母親の機嫌が悪い時、部屋の中で足音がドンドンと大きな音で威嚇してくる。戸が乱暴に閉められる。物が雑に投げられて派手な音を立てる。
この音がする時、私は決まって母親の機嫌が良くなるようにわざと母の好きそうな話題を振ったりして顔色をかがっていた。
ひどい時は無視をされていたが、機嫌が良くなる頃を見計らう癖もついた。
母が怒らないように、私は正しくあり続けた。良い成績を残すように部活を頑張り母が自慢できるような娘でいられるように必死だった。
ただ、私の頑張りに対し母からの無条件の承認や愛は結局得られなかった。
これが大人になって仕事をするようになった時、上司や同僚のやって欲しいことなどの雰囲気がわかるようになった。そうして空気を読んで先回りして仕事した結果、
「あなたがいてくれて助かったよ」
と感謝の言葉をもらえた。
この一言でぽっかり空いた心が埋まるように一瞬満たされたが、私の心は穴の空いたバケツのようにすぐに満たされなくなってしまい、親から得たかった承認欲求を仕事で解消しようとして「スキルを積む」を名目に馬車馬のように働き続けるサイクルになっていった。
私は仕事を断るのが苦手である。
仕事を断ったらこの人に嫌われてしまうのではないか、などと邪推する。
与えられた仕事も必要以上に頑張ってしまうし、それに対して評価が高くないと不安で仕方なくなる。
評価されたい→仕事を断れない→必要以上に頑張る→疲弊する
このサイクルで仕事中毒の出来上がりだ。
「仕事を頑張っていた」のではなく、「価値のある自分でいようとしていたのかもしれない」
私は仕事という手段を使って「価値のある自分」でい続けようとした。
親からもらえなかった「あなたはそのままでいい」という無償の承認を仕事を通じて他者に求めていたのだ。
しかし、結局「親からの無償の愛情や共感、承認がもらえなかった」ということに気づけていないままだったので私の心は穴の空いたバケツのようなもの。そこに水を入れようとも全て流れてしまって満たされず欲求はどんどんと強くなる。
頑張ること自体が悪かったわけではない。
でも私の場合、「やりたいから頑張る」と「頑張らなければ価値がない」が混ざっていた。
今の自分がこうなった原因を一つに決めることはできない。
ただ、それまで別々だと思っていた「仕事で頑張りすぎる自分」と「母親との関係」が、私の中ではつながっているのかもしれないと思うようになった。
「毒になる母」では、過去に母親の妬みの標的にされた後遺症として子どもは自分の功績を自分で認められない。認めれば自分も母親と同じ自己愛人間のように感じてしまうからだと書かれていた。
まずは、自分の価値に見合った功績を誇りに思うこと。とも書かれている。
今でも、私は仕事中毒のようにずっと何かをやらなければならないと思ってしまう。そうしないと自分に価値がないから。
ここまで考えて、私はふと思った。
「私自身が『頑張らなければ価値がない』と思い続けていたら、その価値観を無意識に子どもにも渡してしまうのではないか。」
私は我が子に母親から受けた毒を連鎖させたくないと思っている。
我が子に連鎖させることがいちばんの恐怖だ。そうしないためにも、まずは自分の認識から改めていかなければならない。
毒親からの連鎖を断ち切るために
正直、今でも休むことに罪悪感がある。
でも、「もっと頑張らなきゃ」と思ったときに、
「本当に必要だから頑張っているのか。それとも価値を証明しようとしているのか」
と切り分けて考えて、自分のキャパを超えてまで頑張らないことを目標にしている。
「人生はマラソンのようなものだから、自分のペースで心地よく走れるように」と先生からアドバイスをもらっているので、この言葉を念頭に自分を大事にをモットーに仕事をしていきたい。
ここからさらに、「頑張らなければ価値がない」という感覚を掘っていったときに、母親との関係だけでなく、父親との関係にも関係していたことがわかった。
その話は以下のリンクから。