毒親
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愚痴しか言わない母親の話を聞くのがしんどい|子どもの頃から「聞き役」だった私に残った影響

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私は幼い頃学校から帰った後、夜に母親の愚痴を聞きながら母の足をマッサージするのが日課だった。

母親はいつも言っていた。

「職場の〇〇さんに意地悪されるの。」

「お母さんはね、悪くないのに可哀想なの。大変なの。辛いの」

「お父さんに何言っても無駄なんだから。お父さんが悪いよね。」

「おじいちゃんとおばあちゃんはいつも叔母ちゃん(母の妹)ばっかり可愛がるよね。うちの子達はどうでもいいのかしら」

こんなことを毎日毎日飽きずに言っていた。

「そうだね、お母さん頑張っているのに失礼だよね、その人たちは。」なんて母の味方をするような声掛けをしながら立ち仕事で張っている母の足を柔らかくするように力を込めてマッサージしていた。

なぜ母親の愚痴を聞くのがこんなにしんどかったのか

マッサージはきょうだいもいたのに何故か私の役目だった。

「きょうだいの〇〇には悪いし、断られちゃうから」と母は言っていた。

私だって疲れている日は断りたかったが、断ると毎日「家族のために」と言って働いている母を無下にするようで断れなくて渋々マッサージしていた。

「聞いてあげないとかわいそう」と思っていたし、マッサージもしていたので別の部屋に逃げることもできない。

お母さんはね、家族のためにこんなに頑張っているの。辛いけど家族のためだから。私は可哀想な存在なの。

このような母親の自己犠牲的な呪いの言葉を毎日毎日浴びていた。

当然、ポジティブな話ではないので私の感情はすり減るばかりだった。

実家にいたときはいつもギスギスしていたし、他の人のちょっとしたミスが許せなかった。近くにいるとどうしても似てきてしまうもので、正直悪口を言ってスッキリするような感覚の時期もあった。

おそらく、母は感情のケアを私にしてもらっていたが、私の感情ケアは他人に求めていたのだろうと今になって思う。

当時は長時間寝ても強い眠気があり、親元を離れてから徐々に睡眠時間も変わった。両者に因果関係があったかは分からないが、当時かなり疲弊していたことは確かだ

母の愚痴を聞くことの大人になってから残った影響

大人になってから、こんなことに困ることが多くなった。

  • 人の顔色・機嫌をとても気にする
  • 人の愚痴や悪口などのネガティブな話を聞きすぎる
  • 「嫌」と言うことに罪悪感がある
  • 自分より相手の感情を優先する
  • 自分の言いたいことが言えない・伝えられない
  • 自分の本音を話そうとすると涙が出る
  • 相手が不機嫌だと自分がなんとかしなければと思う
  • 相手の役に立たないと自分には価値がないと思ってしまう

とにかく、自分の感情を置き去りにして相手を優先させてしまう癖があることに気づいた。

相手は悪くないと思い込み、自分で自分を責め立てたり一人反省会を開いたり。こんなことが続いて大人になってから仕事を頑張りすぎて適応障害にもなった。

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母から離れて愚痴を聞かなくなったことによる良い影響

私は現在結婚していて親元から離れて暮らしている。

最初に夫と住んで驚いたことは、「なんて心が穏やかな生活なんだろう」ということだ。

夫と今日あったことを話すときは面白かったことや共有したいことなど、ポジティブな話題が多い。また、私の体調が悪い時に休んでいてかけてくれる言葉はまず「大丈夫?」と気遣いの言葉だ。

親から「私を慰めろ。ケアしろ。」と毎日愚痴を聞かない生活は心がすり減る感覚がかなり少なくなった。

ストレスが減って余裕ができたのか、他の人のミスも「まあそんなこともあるよね」と気にしなくなり悪口も無くなっていったし、体も心についてきたのかだんだんと寝る時間も適正になっていった。今でも寝ることは好きだが、泥のように何十時間も寝りつづけることは少なくなった。

体調が整ったら、次はチャレンジする意欲が湧いてきた。

あれがやりたい、これがやりたい、を夫は一切否定しなく応援してくれた。

親には「あんたができるはずないじゃない。諦めなさい。」と頭ごなしに否定されていることから解放され、意欲的に行動ができるようになった。

今こうやってブログをかけているのも私のやりたいを素直に行動できるようになったからだと思う。

「母親の愚痴を聞かなければならない」を疑ってみる

親元から離れて健全な生活を送るようになり、ふと「親の愚痴を聞くことは義務だと思っていたけど、これは普通じゃないのでは?」と思うようになった。

私は現在子育てをしていて、育児の本を色々読んでいるが、どれも書かれていることは子どもの感情ケアをしてあげることだ。

子どもは涙や怒りを無条件の愛情をくれる人に対して感情を放出し、親はそれを受け入れる特別な受け皿なのだと。

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これは私が母の愚痴を聞いていてやっていたことではないか?もしかして、親子関係が逆転している?とふと考えた。

親が親としての役割を果たせず、子どもが親の代わりとなり感情のケアを行なっていたのではないだろうか。

気になって調べてみたのだが、同様のことは世界でも起こっているようだ。

Parentification was associated with marital conflict, youth perceptions of threat, low warmth in the parent–child relationship, and the tendency for youths to intervene in marital conflict. Links were also found with youth reports of internalizing and externalizing behavior and poorer competency in close friendships. These findings thus support the parentification construct and provide evidence that parentification may contribute to poor youth outcomes by burdening children with developmentally inappropriate responsibilities.

(訳)「親の役割の押し付け」は、夫婦間の葛藤、青少年が感じる脅威、親子関係の温かさの欠如、および青少年が夫婦間の葛藤に介入する傾向と関連していた。また、青少年が報告した内向性・外向性行動や、親しい友人関係における適応力の低さとの関連も認められた。したがって、これらの知見は「親の役割の押し付け」という概念を裏付けるものであり、発達段階に不適切な責任を子どもに負わせることで、この現象が青少年の不適切な結果の一因となり得るという証拠を提供している。

Peris, T. S., Goeke-Morey, M. C., Cummings, E. M., & Emery, R. E. (2008). Marital conflict and support seeking by parents in adolescence: Empirical support for the parentification construct. Journal of Family Psychology, 22(4), 633–642. https://doi.org/10.1037/a0012792

心理学には「親役割化(parentification)」という概念があり、Perisら(2008)は、子どもが親に継続的な情緒的支援を提供するようになる親子関係として説明している。

研究では、「母親の問題について助言する」「家族がうまくいっているか自分に責任を感じる」といった状態も、親役割化を測る項目として用いられている。

これを調べた時、「子どもが親の代わりになることは子どもらしくいられなくなることだ」と感じた。

本を読んだり研究を見て思ったこと

母親は、とてもズルいと思う。自分の仕事や夫婦の問題を子供に押し付けていたのだ。

本来バウンダリー(心理学でいう自分と他者との間にある「見えない境界線(自他境界)」のこと)を持っていて、自分と他者の問題を切り分けなければならないところを、家族のためという名目でその境界を曖昧にして責任を押し付けてきた。

その代償を私は今も払っている。

母が職場で嫌な思いをしたことも、父との関係がうまくいかなかったことも、祖父母との関係に傷ついていたことも、本来は母自身の問題だった。

子どもの私は、それを解決することはできず、慰め続けることしかできない。

それなのに私は「お母さんを元気にしなければ」「味方をしなければ」と思っていた。

母がつらそうにしていても「それは母の感情であって、私が背負う必要はない」と思うことが自然なのに、今でも私の境界線は壊れたままで相手が不機嫌だと胸がざわつくし、「私が何かしたかな」と考えてしまう。

今は相手の課題は相手のもの、と切り離す練習中だ。これがなかなか難しいが、闇落ちしそうな時は一度立ち止まってノートに書き出したりジャーナリングアプリを使って整理をしている。

あとは、離れる勇気。

「聞きたくない」「疲れた」「もう無理」と思うことは、相手を見捨てることではない。

私は長い間、愚痴でもなんでも相手の感情を優先することが優しさだと思っていた。

今は、自分の感情を自分で守ることも同じくらい大切だと思っている。

自分がここはもう無理だー!と思ったら、そこを離れるための勇気を持つことが大事。

まだまだ練習中だが、バウンダリーと離れる勇気を持ってこれからも過ごしていきたい。

親と離れることは大変勇気が必要だったが、離れてみてとても良かったと思うので以下の記事もよかったら参考にしてほしい。

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こまち
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毒親育ち。自身の妊娠出産を経て自身が毒親にならないために試行錯誤している記事を執筆中。
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